1964年1月4日 | 兵庫県尼崎市に生を受ける。 幼いころから落語に目覚め、小学四年生のころクラスメートの前で落語を披露。 五年生の時には松竹新喜劇にハマり、公演ごとに道頓堀中座に通いつめる…というシブい子供時代をおくる。 |
---|---|
1979年 | 中学生のころは松竹新喜劇の役者になりたいと思っていたが、中学校卒業後、稼業を継ぐため料理人の道を歩みはじめる。 |
1982年 | 修業していたお店が「米朝独演会」が開かれていたサンケイホールの近くだったため桂米朝の魅力にはまり、入門を申し込むも何度も断られる。 |
1988年10月22日 | 落語家の夢をあきらめきれず、勤めていた料理店を辞めて、もう一度米朝師に入門を志願。師もその熱意にほだされて、ついに入門を許可。住み込みの内弟子生活が始まる。 「宗助」という名前は古典落語『二番煎じ』に登場する、みんなから用事を言い付けられる人物の名前。米朝邸で一門が集まって飲んでいた時、まだ芸名が決まっていなかったので、シャレで「宗助はん、お酒持って来て」などと用事を言い付けている内に、米朝師が「よっしゃ! おまはん、今日から『宗助』や!」と命名してくださる。ところが、米朝師は翌朝になって酔いが醒めた時には、名前を付けたことをすっかり忘れていた。 内弟子期間は前歴を活かして台所でも大活躍。彼が住みこんでいた5年間、米朝家の食卓は一流料亭の味になった…との伝説がある。 |
1989年2月8日 | 京都の安井金比羅会館で開かれた「桂米朝落語研究会」で初舞台。だしものは『東の旅』。 |
1991年10月 | 3年間の内弟子修業が終了。一門が集まって卒業式を開いてくれるも、弟弟子がいなかったため、師匠から「もうちょっと居ててくれるかえ?」と頼まれ居残りとなる。この「もうちょっと」は2年間になってしまう。 |
1997年 | 『くっしゃみ講釈』でNHK新人演芸コンクール新人演芸大賞を受賞。 |
2001年12月 | 大阪松竹座の新生松竹新喜劇師走公演に兄弟子のざこばが特別出演。その「お伴」として憧れの松竹新喜劇に出演。幼いころの夢を叶える。 これが縁となって、松竹新喜劇の母体である曾我廼家喜劇の復活上演を試みる「山椒の会」に参加することになる。 |
2002年9月29日 | 大阪・国立文楽劇場小ホールで初の「独演会」を開催。その後、会場を変えながら20回続く。 |
2008年9月7日 | 芸歴20年を記念しての「独演会」で師匠ゆずりの大ネタ『百年目』を初演。 |
2015年3月19日 | 米朝師匠没。 |
2016年2月 | 松竹座の「桂米朝追善芝居・地獄八景亡者戯」に出演。 |
2017年6月 | 松竹座の「銀二貫」に出演。 |
2018年9月16日 | 芸歴30年を記念しての「独演会」で師匠ゆずりの怪談噺『怪談市川堤』を演じる。 |
2021年3月5日 | 初の弟子が入門。「八十助(やそすけ)」と名付ける。 |
2021年8月29日 | 師匠・米朝の俳名「八十八」を二代目として襲名。サンケイホールブリーゼで披露の会を開催する。 |
小佐田定雄 著
チケット購入に関しましては各開催場所またはプレイガイド他にて購入可能です。
公演チケットのお問い合わせは
お電話で
06-6365-8281
平日 月ー金曜日 10:30~17:30グッズは通信販売でも購入可能です。購入方法に関しましては「米朝商店 オンラインショップ」をご確認くださいませ。